レクチャーレポート

レクチャー

2007年9月30日(日)、大阪府の主催するアートプロジェクト「吉原治良賞アートプロジェクト2008」の一環のレクチャーイベントに、ももやまぶんこを支える会がお招きをうけました。
誘ってくださったのは、ももやまぶんこで、幻燈会や紙芝居をやってくれていたお兄さんである山本握微さんです。ももやまぶんこを支える会からは、司書の根岸と、代表の中谷が参加しました。
ももやまぶんこの成り立ちから、地域交流、はたまた読書によるアーティスト育成!?まで、楽しいお話をたくさんさせていただきました。
その様子を一部レポートします。(編集・江波ノッコ)


1.ももやまぶんこの成り立ちについて

山本
「それでははじめたいと思います。レクちゃーしなくちゃの、とうとう最終回となりました。第六弾、今回は「ももからうまれたももやまぶんこ児童図書館の意義と方法」 という題を僕が勝手につけたんですけども。
本日お招きしましたのは、阿倍野区に数年前まであった、児童図書館ももやまぶんこの、元司書をやっていらした、根岸さんです。」

根岸
「よろしくおねがいします。」

山本
「現在ももやまぶんこをささえる会の代表としてご活躍されています、中谷さんです。」

中谷
「よろしくお願いします。」

山本
「早速ですが、ももやまぶんこという児童図書館は、桃山学院大学が経営していたということですよね。図書館は公立が多いですが、民間というめずらしい図書館で。しかし、残念ながら数年前に閉館してしまったんですね。
これをどのように再現するのか、できるのか、再現する意義とはなんなのか、そして、どのようにして再現していくのかということを、本日はお聞きしたいと思います。まさにみなさんにとってはリアルタイムなお話なんで、僕としては最後らへんはある意味でなまなましい話も是非お聞きしたいと思います。」

(一同笑)

山本
「まずももやまぶんことは何かというお話からお伺いしたいんですけども。児童図書館、ですよね?」

根岸
「児童図書・・・室?」

山本
「そうですね、ほんとに、一室というか」

根岸
「一部屋(笑)」

山本
「そうですね、場所的には、阿倍野区の桃山学院高校があって、その中のマック体操クラブの中ですよね。大学は他の場所にありますよね?」

根岸
「昔、桃山学院大学が阿倍野にあって、それが堺の方に移転しまして、空きができたわけです。それを活用しましょうと。現在ボーリング場になっている土地(※桃山学院高校の真向かいの敷地、大学の運動場だった)なんですが、売却しようとしたところ、大阪市から、地域に還元できることをするよう要請を受けまして。何か地域に還元できるような施設を作らなければならなくなって、それで、何が良いかなと。
そのころ各地で家庭文庫がさかんになってたころで。1971年の話です。そしたら、こどもの図書室をつくろうじゃないかということになって、できたのが、ももやまぶんこなんです。で、一階の教室をまるまる使って始めたんです。」

山本
「家庭文庫がさかん、というおはなしですが、僕にとっては耳慣れない言葉です。家庭文庫とはなんですか?」

根岸
「お母さん方が、自分たちの手で、地域の子どもたちに、住宅の一室を図書室として開放して、文庫を運営するという活動が、各地にすごくできたんです。阿倍野区でもありましたかね?」

中谷
「されてたと思うんですけど、やっぱりご近所しか知らない範囲ですね。狭い、小学校区全体でも知られてるかどうかって感じの範囲だったんじゃないかな。わりとお寺の奥さんとか、教会の奥さんとか、そういう方が、場所に余裕があったりして、自宅で開放されてましたよね。」

山本
「それはおもしろいですね。そんな1970年代にそんなものがあったなんて。今はないですよね。一つのブームのような?」

根岸
「結局、お金が続かないとか、もうひとつ、子どもがすごく少なくなったというのがありますよね。」

山本
「家庭文庫ではないですが、姉が、学校の先生が自宅で吹奏楽教室をやっているのに行ってましたね。地域の一室に集まる感覚ってのは、子どもの頃の姉の代にあった気がします。
家庭文庫・・・すごくいいですね。それで、その流れの一環としてももやまぶんこの設立が決まったのですね。」

根岸
「そうですね、色々と案はあったみたいですが。そのころ、ちょうど私が大学の図書館をやめて、ブラブラしてたころだったんだったんで、「やらないか?」って言われて「やるやるやる!」って二つ返事でひきうけたんです。大学が、お金を出してくれまして、その点で、すごく(設立に関しては)楽だったと思います。
1971年5月に開館しました」

山本
「2004年まで。33年間」

根岸
「そうですね」

山本
「今からいうと36年前・・・僕なんか生まれてない上に生まれてないみたいな感じ。」

(一同笑)

山本
「初期的な蔵書はどのくらいあったんですか?」

根岸
「最初は1200冊で始めました。最終的には23000冊くらいはありましたが。」

山本
「根岸さんのお仕事としては司書としての仕事をすべてですよね。僕も驚いたんですが、最後までカード式の貸し出しでやられてましたよね。最初に予算枠で、1200冊で買った。その選書もやられたと。」

根岸
「選書もやりました。私も大学の図書館には7年間いたんですけど、子どもの本に関しては全然知識がなくて困りまして、最初は、「鴨の子文庫」という神戸の方にある文庫に行って、いろいろお話を伺って、それから、石井桃子さんの『こどもの図書館』(※編注:岩波書店、1965年、絶版)に、楽しそうな本がいっぱい出てきたので、まずそれをお手本にして、集めはじめたんです。最初はほんとに手探りでしたから、最初は絵本と、フィクションのものばかりで、ノンフィクション、科学系はなかったんです。でもやっているうちに、子どもの方からリクエストが出てきまして、段々その手の本も増えてきたんです。」

山本
「スペースの広さはどうでしたか。」

根岸
「一回場所が変わってますので。最初の5年くらいは、あびこ筋に面したところにあってもう少し小さかったですが、日当たりも良くて、壁画も有名な方に書いていただいて、感じのいいところだったんです。その後、桃山マックに移転して、最後までそこで活動していました。(※編注:広さ40〜50坪程度)」

山本
「桃山マックは体操選手とかを輩出して有名な体操教室ですよね。僕がももやまぶんこに行っていた頃は、マックの子どもたちが利用しているぶんこという印象がありましたが。」

根岸
「そうですね。教室の前や後に来てる子も多かったですね。」

山本
「定期的に予算がおりてたんですか?蔵書購入費や、人件費なんかは、桃山学院がずっと出し続けてたんですよね。桃山学院はどういう風に考えていたんでしょうか?」

根岸
「正直なところ、あんまり理解がなかったように思いますね。でも、前年も予算が出てたから今年も出るという感じで、毎年出てましたね。それが逆に長持ちした理由かも。」

山本
「理解はなくとも(笑)」

根岸
「所属もいろいろ変わりまして、担当者によっては積極的に関わってきていただける方もいました。大学の方は、毎年、請求書を出せば払ってくれるって感じでした。去年と同じくらい出したら、そのくらいもらえる。」

山本
「年度末になると、調整とかするんですね」

根岸
「そうですね。(笑)」

山本
「定期的に、新刊と、リクエストの本を購入していたんですね。」

根岸
「そうですね。だんだん増えていきまして。最初はあまり学習図書館的な印象はもっていなかったんですけど、だんだん子どもが宿題を持ち込むようになりまして。 (現在支える会メンバーの一人である)美咲ちゃんが、いつか、学校で出た問題を持ち込んできましてね。「大阪のきゅうりと高知のきゅうりとどっちがおいしいか分かる本ない?」って聞かれたんですね。すごい印象に残ってます。ちょっとずつ子どもに聞き出して、考えながら本を提供するという、仕事も増えてきたんです。」

山本
「リファレンスサービスですね。子どもはびっくりするようなことを聞いてきますよね。」

僕も司書過程で、子どもの質問にいかに答えるかっていう問題があって。「黒い目の本が欲しい」って子どもが言うんですけど、心霊写真らしいんですよ、黒い目っていうのが印象に残るから。子ども電話相談室状態ですよね。難解ですよね。」

根岸
「自分が言いたいことをぱっと言ってくれないので、言いたいことは何か一緒に考えてあげるっていうか。」

中谷
「「調べ学習」が学校全体で、すごく推進されてて、でもインターネットがまだなくてって時代がありましたね。」

根岸
「そうですね。必然的に図書館に行くんですが、公共図書館の皆さんは忙しいので、なかなか話にのってくれない部分もあったみたいです。」

山本
「公共図書館にも、当然児童書コーナーがあって。でもなかなか相談をカウンターで対応しきれない部分がありますよね。そういう意味でも子ども専用の子ども図書館の意義っていうのはありますよね。」(編注:現在は大阪市中央図書館には子ども専用のカウンターが設置され、専任司書の方がいらっしゃるようです。子ども専用OPACもあり、にぎわっています。各地域図書館までそういう制度が行き届いているかは定かではありません。)

根岸
「公共図書館は、転勤もありますね。せっかく子どもと慣れた頃に、転勤で変わってしまわれるとか。5、6人ですべての分野についての仕事をこなさないといけないから、大変だと思うんですね。図書館ではもちろん、子どもが、わーって騒いだり走り回ったりしてしまうと、大人に叱られますし、小さい赤ちゃんがいるお母さんなら特に気を使ってしいます。、その点、ももやまぶんこは、みんないつもキャーキャーワーワー言ってて、気楽な点はすごくよかったんだなと思います。」

山本
「開館時間っていうのはどんな感じでしたか?」

根岸
「毎週土曜日の午後1時から5時という、短い時間だったんですけれど。それでも多い時は年に3万何千冊貸していた頃もあります。子どもが多かったので。開館したころと閉館の頃では子どもの数は4分の1くらいになってるみたいです。
始めた頃は、雨の日は子どもがたくさん来ました。外で遊べないからって。 でも最近になると、雨の日は外で遊ばずにゲームしたりするのか、逆に少なくなってました。」

山本
「利用している子どもの年齢層は?」

根岸
「最初の頃は、小学校5,6年生が中軸だったんですけど。段々低年齢層化しまして、最後の方は5歳以下といった小さな子どもが増えまして。5、6年なんかあまり来てくれなくなったなあ。」

山本
「それはすごい変化ですね。」 根岸
「最近になるにつれて、小学生は、遊ぶにもゲームがあるし、おけいこごとも塾もあるし。友達と遊ぶのも、いちいちきっちり約束しないと遊べないみないな感じになってきてましたからね。」

2.おはなし会について

山本
「根岸さんがやってらっしゃる、素話によるおはなし会っていうのは最初からやっていたんですか?最初の頃の利用者層である、5、6年生の子どもって、あまり話を聞いてくれない印象があるんですが。」

根岸
「それが結構ちゃんと聞いてくれまして。」

山本
「ということは、初期の頃からやられてたんですね。」

根岸
「初期の頃からやってて、途中でくたびれてしまって、毎月やるのがしんどくなって、しばらくやらなかったんですけれど、また後半になってやりだしました。最初の頃は長い話が多かったですね。15分くらいかかるものでも、しっかり子どもたちが話についてきてたんですけど、後半になると、短いものが限度という感じになってきましたね。頭の中で、絵が描けなくなってきている気がしますね。」

山本
「根岸さんがやられていた素話は、まさに職人芸とも言えるのではないでしょうか。物語を暗記して、たんたんと語ってみせるという。以前一度大人が集まるライブ会場で、素話をしていただいたことがありましたが、まわりは大うけでした。」

根岸
「あの時は場違いなところにいってしまったなあと。」

山本
「いやいやすごい感動で。会場では小道具としてミニチュアの公園遊具が置いてあるところに根岸さんに座っていただいて。「巨大おばあさん現る!」って感じで、そこにスポットライトがシャーっとあたって、根岸さんのまったりとした口調で素話をしていただいた日にはもう、まわりは「背筋がぞわぞわする!」とか言ってました。またよろしくお願いします。でも、絵本の開き読みや紙芝居など、いろんなおはなしの形態があるのですが、根岸さんは素話を選ばれていて。僕から見たら、素話を聞くというのは、一つの(人の話を聞く)訓練のようにも思うんですが、あえて素話を選んだのは、どういう思惑で?」

根岸
「訓練という風には思っていなかったんですけど。子どもたちが子どもたち同士で絵本を読み聞かせあっている様子とかを見ているだけでも、素晴らしいなと私は思うんですよね。耳から入ってくる人間の声って言うのは、すごく力があると思うので。やっぱり、それを通じてお話を頭の中に描いていってくれれば良いなとは思っていますけれど。なかなか、だんだんとそれが難しくなってきてる気がします。
最近は違うところで、赤ちゃん向きに絵本の読み聞かせをしてるんですけど、それも難しいですね。」

山本
「赤ちゃんって動物の次に困難って気がしますけど。」

根岸
「結構。でもね『ピョーン』(編注:まつおかたつひで・著、ポプラ社、2000年)とかね、読んだら、赤ちゃんも一緒にピョーンと飛び上がったりするんですよ。ああいうのが見れたらすごく楽しいですね。人間ってやっぱりおはなしが好きやなと思います。」

山本
「低年齢層の子どもだから聞いてくれるなあというのもありますよね。逆に大きくなってくると、なんかチラチラと落ち着きがなくなってくる。僕自身も紙芝居をしていると、小さな子どもはしっかり聞いてくれて「ありがとう子ども!」って思うことがあります。大学図書館に勤めていた頃はおはなし会どころではないですね?」

根岸
「大学図書館では整理やカード作成などの後方業務をしていましたので。ももやまぶんこの初日、子どもたちの前に初めて出たときは、帰宅すると熱がでてました。38度近い熱。声が、キャーってするのが、あれだけで。自分に子どもがいないので、初めてあんなにたくさんの子どもの中に入っていって、ほんとにこれでやっていけるかなあと思いました。」

山本
「今の僕からしたら、根岸さんイコール子どもとともにいる人!って気がしますが。」

根岸
「あつかましく、みんなが「おばちゃん」っていったら、「おねえさんって呼びなさい!」って言ってました。もう30代の一番最後らへんだったので、あつかましかったかなとは思うんですが(笑)。」

山本
「根岸さん以外にお手伝いさんは来ていらしたんですか?」

根岸
「最初の頃は二人くらい、一番忙しいときには10人くらい来てもらってました。それでも息する間もないくらい忙しいときもあったんですけど。」

山本
「当時小学5、6年の方でも今はおじさんですよね。」

根岸
「親子二代で遊びに来てくれた家庭もあります。ももやまぶんこの近所に住んでいる男の子がいて、男の子といっても、もうおじさんですけど、いまでも道で会うとごあいさつしますね。」

山本
「公共図書館では転勤があるから、それは成し得ない。地域にしっかり根付いて、一人の人がずっと専任でやっていて。それを考えると確かにそんなの存在し得ないですよね。それだけももやまぶんこが貴重で希少な存在だったということが、わかります。」

3.閉館から現在まで

山本
「そんなももやまぶんこがなくなった原因の一つには、建物の問題があったそうですが」

根岸
「建物が老朽化しているので、危険だから閉めます、という話だったんです。まあ、いろいろ大学側の事情があったらしいですが、公式な理由としては、建物が老朽化しているから出てください、もうやめますという話だったんです。でも、せっかくいままでやってきたのにってことで、皆さんにお願いしまして、それで皆さんが立ち上がってくださって、署名を集めてくださいました。三千人くらいの署名を集めて、もっていって交渉したんですけれど、大学側はもうやれませんと。結局は閉めることになってしまったんですね。大学でも司書過程があるので、本は使えると思うんですけど、大学側の意向としてはすべて廃棄してしまうということだったんで、それではあまりにももったいないということで、地域のみんなの手でなんとかどこかで継続していけないかということで、有志の方で「ももやまぶんこを支える会」を結成していただいたんです。今年で3年(編注:根岸の勘違いで、実際は4年)になります。 蔵書は、廃棄したり、小学校の図書室にもらっていただいたのもありますので、今は21000冊になりました。
それで、最初は場所探しから始めました。けれど、できるだけタダに近い値段で、ある程度の広さがあって、前に自転車を置くスペースがあって、やかましく言ってもご近所に叱られないという、非常に難しい条件で、なかなかみつからなかったわけなんです。桃山学院の横のNTTさんや、商店街の空き店舗とかをまわってみたんですが。」

山本
「最初の時点で、商店街の空き店舗を探されたときっていうのは、ももやま学院を離れて、お金がない時ですよね。どこか理解のあるようなところはありましたか?」

中谷
「全然そういうところはなかったです。」

山本
「どれくらいの予算で探したんですか?」

中谷
「考えてなくて(笑)とにかく行動が先でした。」

山本
「ここで中谷さんですが、中谷さんは、NPOの子育て支援団体に関わられているんですよね。」

中谷
「「こももネット」という阿倍野区の子育て支援の団体をやってまして。ももやまぶんこの閉鎖の時に、大学側のお話を(こももネットとして)二回くらい一緒に聞いたんですね。その時は異議を唱えてくださる方もたくさんこられたんですが、いざ行動していこうとした時に、やはりたくさんの人は集まらなかったですね。少人数で、どうしよう?って。お金なんて頭になくて、とにかく場所探そうって。それと賛同者をつのって、少しでも多くの声を届けたいと。」

山本
「閉館以降の経緯は?今、インターネットで阿倍野区という自治体の、マニフェストを見ると、ももやまぶんこがのっていますよね。」

中谷
「子育て支援に関してと、ももやまぶんこを支えるっていうようなことは書いてますね。」

山本
「ちゃんと、自治体のホームページに書かれてますよね。ももやまぶんこと。」

中谷
「設立当初は大阪市の意向はあったんですけど、閉館時は30年も経ったんだから、十分ですというようなお返事だったんです。でも、私もそうですし、ももやまぶんこを支える会に入っていただいた方が、阿倍野区で子育て支援に関わっている方が多く、社会福祉協議会とか、区役所との繋がりもあったんで、お話にいったら「そうやなあ」って賛同はいただいて。ですから、さっきの話にありました、商店街の空き店舗探しも社会福祉協議会の事務局長と一緒に私行ったんです。でも値段もすごいとんでもない値段でしたね。阿倍野区は便利で、文教地区ということがあって、全然下げてくれない。」

山本
「阿倍野区は文教地区ですもんね。」

中谷
「売ろうと思ったら売れるやないって感じで、値段は下げないですね。それから、福祉活動されているところは、皆「場所」が欲しいから、いい場所があってもブッキングしちゃうんですね。最初の活動の中では、社会福祉協議会とか、区役所の中に一部共感してくれる人がいてて、一緒にやろうやないか、と言っていただいたので、その辺は良かったと思います。」

山本
「最初から区役所や社会福祉協議会との協力があって。」

中谷
「なかなか最初は見えなかったですけどね。それって大事やねって言葉はもらえても、具体的には何がどうなるのという感じはあったんですけど。」

山本
「助成金なんかは、もらってるんですか?どのようにして?」

中谷
「それはもう、普通に申請して。でも、一年単位ですし、ピンキリありますし。助成申請に、報告もしないといけないですし。でも逆に、そのおかげで活動に積極的になっていってるところもあります。何からしたらいいのか、最初は不安ばっかりな中で、助成金を申請して、みんなで活動していく中で、こうしていったらいいんじゃないかとか。そんな中で、おはなし会も元気になってきました。一番すごいと思ったのは、昨年度やりました「児童図書館運営ボランティア要請講座」です。根岸さんが講師でやりました。読み聞かせボランティア養成講座はかつてありましたが、運営部分の養成講座は初めてだと思うので、それはすごいなと思います。メンバー自身が揉まれながら力をつけてきたという実感はあります。」

山本
「ボランティア講座にはももやまぶんこが復活したときに、それをきりもりしていけるボランティアスタッフの卵が集まってきたという感じなんですね。年齢層はどんな感じですか?」

根岸
「まず本が好きな方ですね。子育ての手が離れた方もいましたし。独身の方も、子どもさんがいらっしゃらない方も、子どもから手が離れた方も、現役子育て中の方も、いろいろな方と出会えてよかったです。」

山本
「現時点では、今、どんな話がすすんでいて、どんな候補地が出ているんですか?」

中谷
「場所探しに奔走していたときに、候補地の一つにあがったのが、美章園にできた、障害者さんの通所と入所施設の五階スペースが、交流スペースとして地域に開放するっていうことで、もしかしたらそこが使えるかもねということで、お声をいただきました。
けれど、実際そこで活動ができるかっていうと、2万冊も本が入りきらないだろうとか、地域開放スペースなので、ももやまぶんこだけがそこを使うというのは問題があるんじゃないか、とか。美章園の施設自体が建つとに対しての反対がありましたので。ももやまぶんことしても、心細さみたいなのがあったりして、使えそうっていうところから、進まなかったんですね。」

山本
「仮に本が置けたとしても、おきっぱなしになってしまう可能性がありますしね。 本が置いてあっても、貸し出しやリファレンスができないということになるとちょっと困りますよね。」

中谷
「でもそういう形であっても、本を廃棄してしまうよりは、地域に還元できるので、使っていただけるなら使っていただきたいと思っています。その地域の子育て中のお母さんには、そこでちょっとゆっくり本を読んだり、お友達とすごすとかはできると思うんです
ただ、ももやまぶんこの蔵書は、すごく魅力的なので、それをわけてバラバラにしてしまうのはいやだったんですね。やはりかたまりでどこかにってことで。区役所にもどうですかということで、検討中です。頑張っています。」

山本
「以前は僕も区役所で紙芝居やらしてもらいましたが。阿倍野区って子育て支援に力を入れているんですか?」

中谷
「マニフェストにも出してるし、すすんでる方ではあると思います。」

山本
「子育て支援っていうと、僕自身は子どももいないので、なじみもないんですけれど、NPOとか、子育て支援団体っていうのは結構あるんですか?」

中谷
「大阪市内で、一応各区にあると思います。昨年の秋くらいに、大阪市内で、子育て支援をすすめたいと思っている団体のネットワークを作りまして、「たこやき」っていうんですけど」

山本
「たこやき?」

中谷
「「大阪子育てネットワークたこやき」っていって、『「た」のしい「こ」そだて「やさ」しいちい「き」』、みたいな感じで、作っちゃったんですけど。各区の子育て状況などを報告しあう会なんですけれど、そこでもももやまぶんこのことを発信してみたら「それはすごい、がんばって」みたいな応援は、いただいてるので、これを全市的にPRしていきたいなとは思っています。」

山本
「阿倍野区から話は広がっていきますよね。33年間の蓄積は、モデルケースにもなりますよね。区役所の中でとのお話ですが、その中の一室ということですか?」

中谷
「区役所の一室というかスペースですね。結構広いスペースが空きそうということなので、子育てスペースと図書室ぽい所になればいいなあと要望しているところです。」

山本
「そういったスペースであれば、貸し出しやリファレンスサービスは可能になってくるんでしょうか。購入資金、予算なんかはどうなるんでしょうか?」

中谷
「まだまだこれからといった感じですね。課題は山積みで。」

4.今後へのメッセージ

山本
「場所や資金などのこと含めて、なかなかうまく進まないという風には聞いているんですが。一応今日のレクチャーの内容は大阪府の映像として残るので、何かメッセージがあれば。」

中谷
「まず国が、読書推進をやっていますよね。図書館を中心に、各区の子育て関連の担当者が、プロジェクトチームを作って、支援をやりなさい、その中に市民もいれなさいと。だから私たちのやっていることを、「ダメ!」って言っちゃうのは、ちょっとおかしいですよね。国が推し進めていて、市も推し進めているところを、ダメです、というのは言えないよねとは思うんです。私は、ももやまぶんこは、文庫活動だけじゃないと思っています。さっきも話にでましたように、乳幼児のお母さんが、絵本と子どもさんをつなげるという場として、ももやまぶんこが大きな意味をもってきたところだったんですね。何年前からかはブックスタートっていうのがあって、赤ちゃんが生まれたら本を一冊くれるんですよね。そういうところで、読書推進をしているんだから「ダメ」だなんて言わせないですよ!と。(カメラにむかって)」

山本
「現代アートという分野でも、各アーティストで、いかに助成金をもらうかということがあるんですけれど。国が考えている流れと、地方自治体の流れと沿っていないことがありますよね。自治体も大変なんでしょうけど。」

中谷
「区のあり方も、東京都と、大阪市とはまた違いますよね。東京都の区は、わりとそれぞれ独立性が高いじゃないですか。だから区で決済できることが多いですけど、大阪市は上意下達みたいなところがあって。各区のようすが違うのに、同じことを要求されることがあったりしたんですけど。今年からは各区の裁量でできる部分も増えてきているということなんで、これからはもっともっと市民の声を聞いてやっていかないといけない状態に、多分行政側がなってきてるんですね。その辺で、もっと市民と一緒にやりましょう、ほんとの協同をやりましょうというところは思ってるんです。
今日は現代アートの分野からのお誘いでしたが、根岸さんがさっきおっしゃってたみたいに、文字を読んでとか、耳から聞いて、絵が頭の中に描けるかっていうのは、アーティストの養成にかかわってくることですよね。子どもたちに想像力を発揮してもらうためには、本を読むっていうのはものすごい大きな意味があるのかなあって思っているので、その辺を行政には知ってもらいたいです。朝読で、言われたからしますってことじゃなくて、本を読むことが、心の豊かさを育てたり、そこから創造性が培われるんじゃないかな、根源じゃないかなって思うんですよね。」

山本
「なんか良い感じにまとまりましたね(笑)、ちゃんと一本の線に。子育てって、僕らみたいに子どもがいないものにとっては縁遠いけれど、それはアーティスト育成なんですね。」

中谷
「実際の父母だけじゃなくて、根岸さんや私もオカアサンであり、いや、オネエサンであるという風に、地域がそうい意味で繋がっていくのは、すごい力だなって、活動をすることで学ばしてもらってます。根岸さんが熱出してしまったという話にもあるように、子供と出会うことで、こちら大人にも変化が起きるっていうか、力をもらうっていうか、活性化されるみたいなこともあると思います。」

山本
「僕も普通に社会人生活していたら子供とは全く会わないですね。紙芝居をたずさえて行くことによって、子どもと会える部分があります。それは楽しく貴重な体験ですね。 今回は楽しいお話をありがとうございました。」

根岸・中谷
「ありがとうございました。」

(2007年10月30日(日) 大阪市内・本町「studio」にて)
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